「GOAL達成は自己犠牲」と思い込んでいた経営者▶︎最高月商前年比70%アップ(435万円)を実現

法人化したばかりで「頑張るぞ」という時期に、内側では燃え尽き症候群に陥っていた。

障害者支援とデザインプロデュースを手掛ける鈴木淳子さん(40代)は、外から見れば順調に独立・法人化を果たした経営者だ。しかし実際には、過去3年間の「初任給以下の給料で自己犠牲を続けた経験」から、「GOAL達成=自分を削ること」という認識が深く刻まれていた。

「走りたいのに走れない」その葛藤の正体を知り、「まず自分を満たす」という順番の転換を発見するまでの軌跡、そして最高月商前年比70%アップ(435万円)と事務所設立を同時に実現した変容のプロセスをお聞きした。


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目次
松田 皓太 株式会社ミズカラ CEO

経営・マーケ戦略の専門家。銀行、Salesforce社などの大手外資系Saas会社に従事した後、マーケティング領域の会社を起業・売却。その後株式会社ミズカラに参画し、CEOとして戦略立案や組織設計を担う。

村岡大樹 株式会社ミズカラ CPO

外資系製薬を経て、パーソナルジムの急成長を牽引。2021年に起業し、翌年GOAL-B(現ミズカラ)に参画。CSOとして組織改革を担った後、代表就任。受注16億超を達成し、現在はCPOに交代。著書『自分の変え方』を出版、累計5万部を突破。

「走りたいのに走れない」法人化直後に訪れた燃え尽き症候群

2024年11月、法人化したばかりで「頑張るぞ」という時期に、実は燃え尽き症候群のような状態だったとのことですね。当時の心境を教えてください。

当時は、コーチに「燃え尽き症候群だ」と教えてもらうまで、自分では全く気づいていませんでした。「走りたい、GOALを設定してそこへ思い切り走っていきたい」という気持ちは確かにあるんです。でも一方で、体も心も疲れ切っている自分がいました。

また新しくGOALを設定して達成しようと思うと、以前のように自分を後回しにして無理をしなければいけないのではないか。そんな「自己犠牲のループ」に戻ることに対して、心の底の自分が「絶対に嫌だ!」と叫びまくっていた時期でした。でも、法人化した以上は事業を拡大して売り上げを上げなければならない。その狭間で「どうしていいか分からない」という葛藤の中にいたんです。

自分の中で「GOAL達成=自己犠牲」という図式が強く結びついていました。自分の時間をまた削って、誰かのため、クライアントさんのために頑張らなければならない。当時はそう思い込んでいたんです。

初任給以下の3年間「自己犠牲のループ」が刻まれた福祉の現場

「GOAL達成=自己犠牲」という思い込みはいつからだったのでしょうか。

キャリスピを受ける前、会社員として福祉の現場で働いていた時のことです。問題点を見つけると、そこに対して自分のプライベートの時間をすべて投げ打って「全ベット」するような働き方をしていました。当時の給料は初任給を下回るほど安く、その状態で3年間働いていたんです。

自分の買い物すら満足にできないほど困窮していました。でも「皆さんの所得向上のため」という大義名分や、県の補助金事業としての重い責任感がありました。「去年より今年、今年より来年」と数字を上げるために自分の時間を削り続けて、ようやく業務が回るという極限の状況でした。

もともとその福祉の仕事はやりたいことだったのですか?

興味は非常にありました。以前デザイナーをしていた際、障害を持つ方々が描く「アール・ブリュット」というアートに魅力を感じたことがきっかけです。私自身、子供服のイラストなどを描いていたのですが、彼らが描く新幹線や車の絵には、真似できない圧倒的なオリジナリティが泉のように湧き出ていて、それが本当に素敵で関わりたいと思ったんです。

しかし実際に入社してみると、次第に「デザインの仕事はできる事業所に出して、あなたはアドバイスに留めなさい」と言われるようになりました。結局、商社のような立ち回りを求められるようになり、「これが本当に自分の人生でやりたかったことなのか」と分からなくなってしまいました。嫌いではないけれど、どこか満たされない。物質的な満たされなさと働き方のバランスに、ずっと葛藤していました。

そこから独立を決断されたのはなぜでしたか。

本当に自分が可哀想になってしまったんです。計算してみると、初任給を下回る給料はフリーターでも稼げる額でした。「これほど生活を切り詰めるなら、すべて自分でやったほうが同じ仕事量でも伸び代があるじゃないか」と思ったんです。3年間の貧乏生活を経験したことで「ないなりに生きていける」という自信もつきましたし、「まずは2年間限定で死ぬ気で頑張ろう」と決意して、独立に踏み切りました。

「怠けている」のではなく「エネルギーが低下している」衝撃の気づき

独立後、どのようなきっかけでコーチングと出会ったのでしょうか。

実は6年ほど前から別の会社で伴走支援を受けていたのですが、YouTubeで御社を見た時に、今までとは全く違うアプローチに非常に興味が湧きました。当時は「エネルギッシュで溌剌としている組織だけれど、今の私と合うかな?」という不安もありましたが、まずは体験セッションに申し込んでみることにしました。

体験セッションで特に印象に残っていることは?

自分が燃え尽き症候群になっていることに気づかせてもらったことが一番大きかったです。「だからこんなに嫌だという自分が出てくるんだ」と腑に落ちました。

それまでは「怠けている自分」だと思っていて、それが嫌でした。もう一度奮い立たせたいけれど、どうしても立てない。以前のように必死にやっていた時の自分には戻りたくない、という思いもありました。

コーチから「怠けているのではなくエネルギーが低下しているだけだ。火のつけ方の問題だ」と言われ、自分が夢中になれることなら嫌ではないはずだと教えてもらいました。「息を吐くようにできることで、軽やかにGOALを目指しましょう」という提案に、それならやりたいと思えたんです。

金額的にも大きな決断だったと思いますが、迷いはありませんでしたか。

私の仕事柄、経費があまりかからないため、コーチングを受けることは「自分への仕入れ」だという感覚がありました。認知科学に基づくコーチングという、エビデンスがある点が信頼できました。法人化する直前で、プロと一緒にGOALを設計してブーストをかけたいという思いが強かったので、最上位のプランを選びました。一生モノにしようと思って。

「淳子さんの責任は、自分の人生に対する責任だけ」40年間で最大の決断

コーチングがスタートして、自己理解のステップで自分の「機能」が見つかった時はどのような感覚でしたか。

独立した時に立てた企業理念「個性を愛し、生かし、敬愛あふれる社会を創造する」と合致していたので、「やっぱり私はここなんだ」と再確認できました。自己機能としては「心に深く入り込みたい」「おせっかいをして、くすぶっている人の能力を解放する」といったものでした。まさに理念そのままだったんです。

設定したGOALはどのようなものでしたか。

「世界中が個性を生かし、個性を愛し、自分のGOALで生きる人だけにする」というGOALです。日本だけではなく世界中へとスケールを大きく設定しました。自分一人では達成できないGOALにすることで、同じ志を持つ人たちと手を繋いでいける。それが非常にしっくりきました。

GOAL設定後、行き詰まることもありましたか。

最後の3回ほどのセッションで劇的に変わりました。コンフォートゾーンの外に出る段階で、もともとの「ダメパターン」に引き戻されていることに気づかせてもらったんです。コーチに「Day 0(受講前)の淳子さんはこう言っていましたよ」と指摘され、その内容が今の悩みと全く同じだったので、刺さりました。

私は「断れない、やりますと言ってしまう」人でした。ある案件を断ることが本当に大変で、LINEグループでコーチとやり取りをしました。最終的にコーチから「淳子さんが持っている責任は、自分の人生に対する責任だけですよ。いいんですか、それで?」と言われ、ハッとしました。「確かに、私の責任は私しか取れない」と腑に落ちたんです。

断った直後は「こんなひどいことをした、自分は人でなしだ」と恐怖と罪悪感でいっぱいでしたが、コーチは「大絶賛」してくれました。周りが否定してもコーチだけは「よくやりましたね」と。今振り返れば、あれは40年間の人生で最大の、三段跳びくらいの勢いで外に出た体験でした。

「順番が逆だよ」まず自分を満たしてから、誰かを満たす

コーチングを終えて、外側の世界が居心地よくなってきたのはいつ頃ですか。

セルフコーチングをする段階になってから、だいぶ居心地がよくなりました。断れる自分になっていたり、結局断った案件の方ともご縁が切れずに納得できるところで着地したりしました。自分のあり方が整うと、色々な偶然も含めて循環し始めたんです。手放すことでチャンスが舞い込んだり、自分が満たされたりする感覚が徐々に分かってきて、「あれでよかったんだ」と思えるようになりました。

「まず自分を満たす」ことを実感された体験を教えてください。

ちょうど断るタイミングで、自分が得意な「有松絞りの浴衣を売る」という仕事が舞い込んできたんです。「休憩していいよ」と言われても、つい夢中で接客に入り、自然と販売までできてしまう。その結果、お店のインスタ運用も任せていただくことになりました。「どっちにしても迷惑をかける可能性があるなら、自分が満たされた状態で誰かを幸せにできるものを選んだ方がいい」と言われたことも目から鱗でした。それでブレーキが外れて、アクセルしかなくなった感覚です。

最高月商前年比70%アップ(435万円)、事務所設立 軽やかなGOALが生んだ具体的成果

仕事面では具体的に何が変わりましたか?


福祉の現場で働いていた時は手取り15万円ほどでしたが、今は自分や協力会社の個性を活かし、最高月商400万円超を関わる皆さんと達成できてとても嬉しいです。また、これまでは実家で経費を抑えて仕事をしていましたが、最近、歩いていける距離に念願の事務所を借りました。事務所を構えたことで、「ついボランティア的な動きをしてしまう自分」を律し、プロとしてしっかりと対価をいただこうという意識も強まりました。

その他に変化はありますか?

境界線を引けるようになったことで、「テイカー(奪う人)」がいなくなりました。以前は共感力と責任感が強すぎて境界線が曖昧でしたが、最近も半年間入金がないお客さまに対して、しっかりと「文章でやり取りをしたい。いついつまでにお支払いください」と伝えられました。

今までの自分なら電話に出て、説得されて泣き寝入りしていたと思います。もやっとした時に蓋をせず伝えることで、今は互いに尊敬し合える、良い循環が起こるお客さまばかりになりました。

これからの展望個性を開花させるプロデュースへ

今後の展望を教えてください。

今も自己理解を継続しており、自分の特性を明確にするワークを毎日続けています。障害者の方々の仕事作りは続けていきますが、やはり「誰かの個性を開花させるプロデュース」が好きだと再確認しています。

今考えているのは、福祉の現場で同僚だった、信頼する才能あるシェフの方と一緒に、グループホームなどへコース料理を届けるケータリングサービスです。外出が難しい重度の方々にも美味しい料理を楽しんでほしいですし、くすぶっている才能を一緒にビジネスとして開花させていきたい。セッションの最後の方でボロボロだった時も、一緒に立てたあのGOALだけは心の小さな炎として消えずに残っていました。そのGOALが今の支えになっています。

最後に、コーチングを迷っている方へメッセージをお願いします。

迷っているなら、まずは話を聞いてみてほしいです。「今の自分が嫌だ」「どうしても変えたい」という強いもやもやがあるなら、一緒に伴走してくれるコーチはたくさんいます。

コーチングと出会った頃は、『コーチが答えをくれる』と思っていて、主体性がなく受け身でした。でも御社の名前の通り、自分が変わろうと思えば確実に変われる場所です。素晴らしいコーチが、変わりたい場所まで一気に引っ張ってくれます。

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この記事を書いた人

松田皓太のアバター
松田皓太 株式会社ミズカラ CEO

経営戦略およびマーケティング戦略策定と実行プロセスの構築・意思決定を担当。新卒で銀行に入行、法人営業職で複数回の表彰を受ける。2021年にSalesforceへ転職し、半年で営業表彰を受賞。その後株式会社ACILを設立し、WEBマーケ事業と2023年当時キャリアコーチング市場集客数No. 1WEBメディア「ポジサラ」を運営。2023年に同社を売却後、株式会社ミズカラに入社。CEOとして戦略立案や組織設計を担当。

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