「答えは一択でしょ?」コーチの一言で決断▶1年半の躊躇を打ち破り、年収150万アップへ

28歳、SaaS系の代理店営業。名古屋から東京への転勤を機に、「このままのキャリアでいいのか」という漠然とした危機感を抱えながら、1年半以上もコーチングの存在を知りながら踏み出せずにいたM.D.さん。転職活動の真っ只中にコーチングと出会い、業務の棚卸しを通じて「誰かをサポートする時に自然と夢中になれる」という自分の本来的な強み=自己機能を発見し、担当コーチの「答えは一択でしょ?」という一言が、長年の迷いを打ち砕いた。震える手で退職のメッセージを送ったあの夜から、年収450万円から600万円(150万円アップ)という変化までの軌跡を語っていただきました。



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目次
松田 皓太 株式会社ミズカラ CEO

経営・マーケ戦略の専門家。銀行、Salesforce社などの大手外資系Saas会社に従事した後、マーケティング領域の会社を起業・売却。その後株式会社ミズカラに参画し、CEOとして戦略立案や組織設計を担う。

村岡大樹 株式会社ミズカラ CPO

外資系製薬を経て、パーソナルジムの急成長を牽引。2021年に起業し、翌年GOAL-B(現ミズカラ)に参画。CSOとして組織改革を担った後、代表就任。受注16億超を達成し、現在はCPOに交代。著書『自分の変え方』を出版、累計5万部を突破。

「このままだと人生まずい」── 東京転勤が照らし出した、漠然とした危機感

コーチングを受ける前、どんなキャリアを歩んでいましたか?

高校卒業後、大学には進学せず、自動車部品の工場で品質管理と製造工程の管理を5年弱担当しました。その後、バックオフィスSaaSのメーカーに転職し、1年ほどエンジニアとして働いた後、同社の営業職に転職。3年ほど法人向けの代理店営業を経験し、コーチングを受けながら転職を実現したというのが大まかな流れです。

対面やオンラインで顧客と直接向き合うパートナーセールスというスタイルが主戦場で、そこに自分なりの手ごたえは感じていました。ただ「このキャリアをこのまま続けていいのか」という問いが、どこかずっと頭の片隅にありました。

危機感が膨らんだのは、どんなタイミングでしたか?

転勤で名古屋から東京に引っ越してきたことが、大きなきっかけでした。東京の物価は名古屋とは全然違って、日々の生活の中で「将来、このままで大丈夫なのか」という感覚がじわじわと積み上がっていきました。特定の瞬間というよりも、じわじわと感じてきた、という方が近いです。

28歳で結婚願望もあって、将来を現実的に考えたとき、今の収入やキャリアのままでは厳しいかもしれないという危機感が強くなりました。東京に引っ越していなかったら、転職もしていないし、自分が変わろうとも思っていなかったと思います。それくらい、環境の変化が意識を変えるきっかけになりました。

1年半、見ていたけど踏み出せなかった── 「30歳手前」で背中を押したもの

コーチングの存在は以前から知っていたんですか?

はい、まだ別のサービス名だった頃から知っていました。ミズカラのYouTubeを拝見していたり、意識の高い人たちのコミュニティに参加したりする中で、経営者や目標を持って生きている人たちのインタビュー動画を見るのが好きで、そこでミズカラのことを知りました。何度か「受けてみようかな」と思ったことはあったんですが、結局一歩踏み出せないまま時間が経っていましたね。

受けたくないわけでは全然なくて、どちらかといえばずっと気になっていた。転職活動もしていたし、コーチングにかけるお金や時間への踏ん切りがつかなかった。「このままタイミングを逃すのも嫌だな」と思いながらも、動けなかった1年半でした。

それでも申し込んだのは、何が決め手になったんですか?

一番大きかったのは「30歳手前」という意識です。30歳を前に、自分で自由に選択できるタイミングってこの辺が一番大事だと感じていて、「今やっておかないとまずいかも」という焦りが強くなりました。価格もどんどん上がっていくから今受けた方がいいという判断もありました。

決定的だったのは、インスタグラムで流れてきた広告です。「自己分析をせずに転職活動を進めると失敗する」という内容で、「あ、自分がまさにその状態かもしれない」と感じました。昔からミズカラのコンテンツで名前は知っていた。それが「自分ごと」として刺さって、そのまま体験セッションに申し込みました。

自己分析なしで転職活動していた自分に気づいた瞬間── 体験セッション、そして受講の決断

体験セッションはどんな内容でしたか?

コーチングを受けること自体が初めてだったので、最初はどんなことをするのかまったく分からない状態でした。転職活動も同時進行していたので、ドキドキしながら臨みました。

セッションの中で「今の行動の延長線上にある未来」を示してもらったとき、「ここで変わらないといけない」という感覚がはっきりしました。30代の足音が近づいてくる中で、「ここで動かなかったら、また同じ後悔をする」という確信に変わった瞬間でした。コーチングを受けようとしながら放置していた自分、転職したいと言いながらもどこに向かうべきか分からないまま動いている自分。「やりたいと思ってやれていないことを続けたら、さらに後悔するだけだ」と気づいた瞬間でした。

受講を決める際に、怖さや迷いはありましたか?

申し込み自体への怖さはあまりなかったです。どちらかというと、「本当にやります」と決断することの方が怖かった。お金もかかるし、転職活動と並行する中で本当に自分が変われるのかという不安もありました。

でも、「東京に引っ越してから危機感がずっとある。このままだと人生まずいかもしれない」という感覚の方が上回っていました。その危機感に背中を押される形で、受講を決めました。

キャリア経歴の棚卸しで見えた「自己機能」── パートナーセールスという天職との出会い

 受講中、どんな気づきがありましたか?


最も大きかったのは、これまでのキャリア経歴の棚卸しを通じた「自己機能の特定」です。これまで自分がやってきた仕事を丁寧に振り返って、「何に心が躍るか」「何を夢中になってできるか」を洗い出していく作業でした。一般的な転職支援では「あなたにはこういうスキルがある」という整理で終わることが多いですが、キャリスピのコーチングでは、そのスキルが「なぜ楽しいのか」「どんな状況で無意識に力が出るのか」という内発的動機の部分まで掘り下げます。

その中で、前職でやっていた法人向けの代理店営業、なかでもパートナーセールスという領域が、自分に一番合っていると気づいたんです。

対面やオンラインで顔を見ながら人と関わり、その人に価値を届けていく仕事スタイルに、自分は自然と惹かれていた。「これが得意で、これが楽しいんだ」と言語化できたのは、コーチングを受ける前にはできなかったことです。

※「自己機能」とは:スキルや職種名ではなく、「自分が自然と夢中になれる行動を通じて、社会にどんな価値を提供しているか」を言語化した、本来的な自分の強みのこと。

GOALの設定はどのようなものでしたか?

2つのGOALを設定しました。1つは年収のアップ。もう1つは、自己機能を思い切り発揮できる環境に身を置くこと。パートナーセールスという形で、対面で人と向き合いながら価値を提供していく仕事を、もっとやっていきたいという思いが固まりました。

GOALが決まったことで、転職先を選ぶ軸も明確になりました。それまでは「なんとなく別の業界を見ていた」状態だったのが、「自己機能が最も発揮できる環境はどこか」という基準で動けるようになった。パートナーセールス特化の案件に絞って転職活動を進め、面接でも「なぜこの仕事が自分に合っているか」を自己機能を軸に語れるようになったことで、同じ代理店営業でも年収レンジが上がる企業への転職が実現しました。「自分ならできるかもしれない」という感覚が、少しずつ確信に変わっていく時期でした。

「答えは一択でしょ?」── コーチの一言が、1年半の迷いを打ち砕いた

転職を決断した瞬間のことを教えてください。

受講中、転職活動の進捗をコーチに話したとき、現職に残るべきか転職すべきかをまだ迷っていると伝えたんです。当時は内定先も決まりかけていて、でも現職でもポジションを上げてもらえるタイミングでもあって、本当に悩んでいました。そのとき担当コーチから言われたのが、「設定したGOALに対して、どちらの行動が合っていますか?答えは一択でしょ?」という言葉でした。

「なんでこんなに迷っていたんだろう」と思うくらい、その言葉が頭に刺さりました。自分が設定したGOALを達成するためには、どちらの道が合っているのか。冷静に考えたら、確かに答えは一択しかなかった。コーチとのセッションをしていなかったら、おそらく現職に残ると言っていたと思います。それくらい、あの言葉は衝撃的でした。

GOALが決まっていても、すぐ踏み出せたわけではなかったと思います。どう乗り越えましたか?

めちゃめちゃ悩んでいました。GOALを設定したからすぐに「はい、できます」とはならない。でも、コーチングを通じて「行動を変えないと、現実の延長線上にしかならない」というロジックを頭で理解していたことが大きかったです。やりたいと思って踏み出せずにいた自分のまま進んでも、また同じ後悔をするだけ。「目標に向かいたい」という思いと、コーチングで培ってきた自分への少しの自信が、怖さを上回っていきました。


震える手でチャットを送った夜── 前職への報告と、なぜ二人で泣いたのか

前職への退職報告は、どんな場面でしたか?

決断してからすぐに伝えました。本来ならオンラインで話したかったのですが、時間が取れなかったのでチャットで営業部の統括部長に送ることになって。そのチャットを送る瞬間、手がめちゃめちゃ震えていました。送信ボタンを押した後、わざわざ名古屋本社から東京まで来てくれて、二人で話しました。

引き止めもありました。でも、その後の言葉のかけ方や、わざわざ来てくれたこと自体に、人としての温かさをすごく感じて。「嫌で辞めたいわけじゃなかった」からこそ、自然と涙が出てきてしまいました。

その怖さの正体は、何だったんですか?

自分が失敗するかもしれないという怖さよりも、「前職の人たちを裏切るような感覚」の方がずっと強かったです。東京転勤自体も、新しく立ち上がる支社を盛り上げてほしいと背中を押してもらった形だったので、その期待を裏切るような感覚がありました。もともと人の目を気にして、自分の気持ちを後回しにしてしまうタイプだったので、今回の退職報告が「人への申し訳なさ」という意味での、初めての経験だったんです。

それでも踏み出せたのは、コーチに言われた「答えは一択でしょ?」という言葉があったから。自分のGOALに向かうためには、この道しかない。それが分かっていたから、怖くても動けた。コーチングを受けていなかったら、引き止められてそのまま現職に残ると言っていたと思います。

「出てきてもいいんだ」── REBOOSTで気づいた、もう一つの自分へ

REBOOSTを受けることになったきっかけは?

コーチから「自分の行動にブレーキをかけているんじゃないか」と言われて、REBOOSTを勧められたんです。転職活動が終わり、退職の報告も済んだタイミングで受けました。もともと受けるつもりはなかったんですが、コーチに言われたことと、転職という新しいスタートにブーストをかけたい気持ちもあって飛び込みました。

REBOOSTの中で印象的だったのが、自分の本音を伝えるワークでした。「人の役に立ちたい」と言ったら共感した人は誰もいなかった。「認められたい」という本音を伝えたら、数人が共感してくれました。「調和を大事にしている」と思っていた自分が、実は「認められたい」という欲求から動いていたと気づいた瞬間、力がすっと抜けた感じがしました。

REBOOSTの後、日常の中で変わったことはありますか?

自分の意見を言えるようになったと思います。「これを言ったらいけないかも」と考える回数が大分減りました。人の目を気にして踏み出せなかった自分の癖は今もあるんですが、以前と違うのは「これは自分の癖だから」と客観視できるようになったこと。出てきてもいいんだ、と思えるようになったんです。

自分の癖を「そういうものだ」と捉えられるようになると、少し自分を許せるようになる。その結果、怖くても一歩踏み出す力が前よりずっとつきやすくなりました。今の職場では大変なことも多いですが、それも楽しめています。「これを乗り越えたら成長できる」という方向に意識が向くようになったのは、コーチングを受ける前とは明らかに違う自分だと感じています。

受講前の自分と同じ悩みを持つ方に、伝えたいことはありますか?

踏み出すのが怖いのは、みんな当たり前だと思っています。その怖さは消えない。でも、怖くて踏み出せないまま後悔してしまうのが一番もったいない。後悔しないために一歩踏み出すことが、大事なんじゃないかなと。

一言で言うなら、「自己機能を特定できたこと」と「自分の癖を認識できたこと」の2つです。その2つが言語化されたことで、行動し続けることができた。そのきっかけを作ってくれたのがコーチングだったと、今でもはっきり思っています。


想像を超えた現実を作るなら

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この記事を書いた人

松田皓太のアバター
松田皓太 株式会社ミズカラ CEO

経営戦略およびマーケティング戦略策定と実行プロセスの構築・意思決定を担当。新卒で銀行に入行、法人営業職で複数回の表彰を受ける。2021年にSalesforceへ転職し、半年で営業表彰を受賞。その後株式会社ACILを設立し、WEBマーケ事業と2023年当時キャリアコーチング市場集客数No. 1WEBメディア「ポジサラ」を運営。2023年に同社を売却後、株式会社ミズカラに入社。CEOとして戦略立案や組織設計を担当。

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